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心の病い。思想の病い。

更新日:3月23日

心の病い。と、良く聞く。

良く聞くようになった。

そんなことはないか。昔からだろうか。


心が病んでいるというのは、傷んでいるということだろうか。心という患部があり炎症をおこしているということだろうか。

頭痛や腹痛のように心に痛みを感じるということだろうか。


筆者の私も、心なのか胸なのか、そのあたりが苦しくて、仕事に向き合えず、帰宅し、ひたすらソファーで横になり、もがいていた頃があった。

いや、今もある。


心が病んでる人。と、いう言い方もある。

そういった言われ方をする人は言動が常識的ではなかったり、社会活動ができなかったりする人のことだったりする。

病いとは、まるで外的要因のようだ。

ゴッホもそうなのだろうか。


思考が間違っていて心というセンサーが痛んでいるのではないか。

考え方は痛みになる。


強い正義や思想は人を苦しめ地獄へと導く。

考えが止まらず、そして眠れず。


これは、心が病んでいるというより、思想が病んでいるということなのだろうか。

よく、心を痛めた人が宗教に出会い、心の「病い」を克服することがある。

つまりこれは、思想、もしくは思考を変えることで病いから逃れられたということではないだろうか。


しかし、筆者の私は、この思想や思考を変えるという行為が未だにできず、辛い毎日を送っている。


性格は私が作ったのだろうか。

趣味趣向感性は私が作ったのだろうか。

生活環境やしつけ、歴史的背景によってつくられたのだろうか。

もともと日本人はネガティブ思考に傾くDNA要素があるらしい。その中でも東北の人間はさらなる強いネガティブ思考に寄っていく風潮があるようにかんじる。


考え方が自分を苦しめる。

遅かれ早かれこの状況から逃れることになることは知っている。


高望み。取り越し苦労。希望。無謀。変化。無化。


痛みの所在は、どこなのだろうか。

いったい、私は何を求め、

いったい、いつまで苦しんでいるのだろうか。


おそらくまた今日の夜も苦しみ、

目が覚めて、また明日の夜も寝付けずに苦しみ、

そして、また目が覚め。


正しいと思って、繰り返してきた判断は、結局、眠れない夜という苦痛の種にしかならなかった。


この世界は嘘だと知っている。

嘘だと知ってから、次の問いを置き去りにされた。


思考しないこと。

思想しないこと。

考えないこと。

体を使わないこと。


痛まずに済むこと。


perhaps..it's need a pain..

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